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珍島イヤギ・・・イヤギってなあに?

珍島イヤギ・・・イヤギってなあに?

雲林山房

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雲林山房(ウンリムサンボウ)
全羅南道指定記念物 第51号
開館時間:AM9:00~PM5:00 *月曜は休館
 入場料:大人(2,000ウオン) 子供(1,000ウオン)
道案内:珍島バスターミナルから双渓寺行きバス乗車、
約15分(終点で下車) バスは午前2回、午後3回ある。
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ここは朝鮮時代後期に珍島邑で生まれた小痴(本名:許錬)が
晩年に作品活動を行った画室が復元されています。

許錬は幼い頃から書道や絵に才能を見せ、19世紀最高の南宗画家として
活躍しました。彼は50歳の時に自分の芸術世界を完成させるため生まれ故郷の
珍島に戻り、尖察山のふもとに雲林山房を建て余生を過ごしました。
朝鮮王朝時代の後期、海外からは新しい文物の波が押し寄せてきましたが
許錬は自分が追求してきた南宗画の画風を捨てず、中世から伝わる南宗画の
優雅な風情を守り通したのです。文人画とも呼ばれる南宗画は、
中国から伝わってきた絵画様式の一つで、細かく柔らかい線を重ねて描く
技法が使われます。

絵には描く者の人格と内面の世界が現れると信じていた許錬は1本の筆を手に
全国各地を歩き回ったと言われます。韓半島の隅々を訪ね歩いた許錬が自分の
芸術世界を完成させるために選んだところが珍島の尖察山だったのです。

許錬の雲林山房はその後、200人あまりの画家を誕生させました。
雲林山房がこれだけ多くの芸術家を誕生させることができた背景には
珍島の独特な環境がありました。
朝鮮時代の珍島は島流しにされた文官たちの多い島でした。珍島に流された
文官たちの中には詩や書画に長けている人も多かったのです。彼らは外部との
交流が隔たれた島で、詩を詠んだり絵を描いたりしながら暮らしました。
朝鮮王朝時代は詩や書画は男性の文化だったので、都から遠く離れた珍島の
男性たちは早くから都の高級な文化に触れることがきでました。
そんな珍島の人たちにとって南宗画の大家である許錬の帰郷はまたとないチャンスでした。
彼らは許錬の雲林山房を訪ね、彼の弟子となって南宗画の画法を学びました。
朝鮮時代の島流しの制度と珍島の独特な環境が「詩と書画、そして歌」と
謳われる珍島の独特な文化と芸術も生み出したのです。

微妙な筆使いと墨の濃淡によってすばらしい山水画を生み出す伝統的な
南宗画の画風は父から子へ、そして孫へと受け継がれ今では5代目になっています。
珍島の最高峰である尖察山(458m)の麓に位置する雲林山房は
珍島で最も風光明媚なところです。
             <珍島の雲林山房と韓国の南宗画より>


雲林山房-3
この池はヨン様が主演した映画「スキャンダル」の撮影をした所で
中央の島には百日紅が満開である。

雲林山房-8
小痴記念館
初代の小痴ー2代(米山)ー3代(南農)ー4代(林田)-5代(許ジン)
この5代に続く200年の家系を、
書芸家であり独立運動家の呉世昌は画壇世将(画壇で代々長寿の意)
珍島出身の書芸家、孫在馨は“書画伝家二百年”という書を残し、
輝かしい業績をたたえました。

07.2小痴(生家)
小痴が晩年に生活した家

雲林山房-10

私は画を見る目がないが日本の観光客は
やはり初代の描いた「梅の枯木」が人気!

雲林山房-1

4代目の林田は「雲と霧の画家」と呼ばれています。

雲林山房-7

歴史記念館
珍島の歴史・文化・芸術を一目で見ることが出来ます。
時間の余裕があれば「映像室」で観光ビデオをどうぞ・

(おまけ)
梅の花
春の香りがする雲林山房

雲林山房-2

雲林山房-1
冬の雲林山房も最高で~す


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